両国国技館の誕生
1906年に着工、1909年に竣工した旧両国国技館(o’ω’o)ノその年の6月には、国技館で6月場所が行われています!
しかしこの当時、この建物は【国技館】という名前ではなく、「常設館」という名前でした。
小屋掛けとしての臨時の建物ではなく、常設の建物というだけの名前だったのでしょう。
【国技館】という名前になったいきさつというと、板垣退助を委員長とする「常設館委員会」で、この建物の名前が話し合われたものの決定をみるに至らず、開館式前日になってやっと【國技館(旧字体)】という名前が提案されたそうです。
それは作家の江見水蔭が、開館式用に用意した案内文の中の一節、「相撲は日本の国技なり」から引用したと言われています。
「相撲は日本の国技」という既定概念が現在も残っているのは、このときに命名された「国技館」という名称が大きく影響しています。
実際には、相撲を国技として国が認めているわけではないので、その根拠は非常にフワフワしたものだなぁという印象はぬぐえません(。`・д・) 続きを読む