善光寺出開帳 両国回向院


  善光寺さん両国へ!  

 4月27日から5月19日まで、両国の回向院で善光寺出開帳が行われます!

善光寺出開帳 両国回向院


 出開帳を盛り上げようと、JR両国駅にはぶらり下町春散歩と題したポスターも貼られ、国技館通りにも出開帳の旗が踊っています♪

両国ぶらり下町春さんぽ


 江戸時代には60日で1603万人もの人が訪れたという出開帳(太田南畝「半日閑話」)。
 戦後では初となる今回の出開帳は、東日本大震災の復’幸’支’縁’として行われ、収益は被災地復興に充てられることになっています。

(続き・・・)

 

両国駅リニューアル!


  ゆるキャラも登場  

 2013年4月14日。JR両国駅がリニューアルされ、新たに改築された両国駅広小路でイベントが行われました♪( ´▽`)

 「言問姐さん」「おしなりくん」のご当地キャラと、江戸東京博物館の「ギボちゃん」JR千葉支社の「駅長犬」が登場!

ギボちゃんと向島言問姐さん

おしなりくんと駅長犬


 周りでは即席の写真撮影会が行われていて、ちびっ子達が大喜び!

 この両国駅広小路、もとは両国駅西口の駐車場として使われていましたが、今回「イベント活用広場」として生まれ変わりました。

 両国の活性化へ、新たな呼び水となっていくことが期待されます(^-^)

(続き・・・)

 

山本周五郎 ~さぶ~


  名作との呼び声も高い 

 
 小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋をさぶが泣きながら渡っていた。その後を追い、いたわり慰める栄二
 ――― 江戸下町の経師屋芳古堂に住みこむ同い年の職人、男前で器用な栄二と愚鈍だが誠実なさぶの、辛さを噛みしめ、心を分かちあって生きる純粋でひたむきな愛と行動。やがておとずれる無実の罪という試練に立ち向う中で生れたひと筋の真実と友情を通じて、青年の精神史を描く。


 山本周五郎著【さぶ】の背表紙には、こう書かれている。


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両国にぎわい祭り


 本日から二日間にかけて開催される【両国にぎわい祭り】

 今回で10回を数えます!

 会場は国技館江戸東京博物館をはじめ、国技館通りを歩行者天国にしてメイン会場としたり、回向院で法話を聞けたりと、両国エリアを広範囲にわたってカバーするお祭りとなります(*´ω`)o。゚:.・

 両国どぜう桔梗家が加盟する両国飲食店組合としても、国技館通りで【猪汁】の販売を行い、好評を得ています!!

国技館通り会場

国技館通り会場


 うん、にぎわっています。

 メイン会場ではステージも用意され、様々な催しが企画されますよっ(゚∀゚)
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旧安田庭園に行ってみた


  都会のオアシス・旧安田庭園  

 この場所は、江戸時代、常陸笠間藩(のちの丹後宮津藩)の本庄氏の屋敷でした。
旧安田庭園

旧安田庭園


 元禄4年。
 本庄宗資が大名庭園として築造したと伝えられています。
 安政年間には、隅田川の水を引き、干満の差を取り入れた 潮入り池泉回遊式庭園 へと生まれ変わりました。
心字池

心字池


 明治には、旧岡山藩主であった池田章政の邸宅となり、同24年に、安田財閥の創始者・安田善次郎の所有となりました。
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震災の日に。


  東日本大震災から1年  

 不安と悲しさでいっぱいだった1年前。
 あの日から、悲愴感に押しつぶされそうになりながらも、震災を乗り越えてきた被災地の人々に、心からのお見舞いを申し上げます。
 
 今日までの間でたくさんのことに気付かされました。

 日本中・世界中の支援の動きに感動の涙を流したり、
 現代人の消費して行くエネルギーについて考えさせられたり、
 地域社会の結びつきの大切さを再認識したり。

 震災を忘れないために、今日は東京都慰霊堂に行ってきました。
震災記念堂

東京都慰霊堂・震災記念堂


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両国橋の場所、今と昔。


 両国橋は現在の橋より50mほど、南側に架けられていたそうです。
 当時は両国橋があたかも回向院の参道かのように、真正面を走る道となっていたといいますo(゚∀゚)o
 当時の橋が架けられていた場所当時の正門の場所には、高札が掲げられ、歴史を今に伝えています!

 これが当時、橋が架けられていた場所にある高札です( ・ω・)ノ 続きを読む

 

旧国技館と回向院!その②


  両国国技館の誕生  

 1906年に着工、1909年に竣工した旧両国国技館(o’ω’o)ノ
 その年の6月には、国技館で6月場所が行われています!

 しかしこの当時、この建物は【国技館】という名前ではなく、「常設館」という名前でした。
 小屋掛けとしての臨時の建物ではなく、常設の建物というだけの名前だったのでしょう。

 【国技館】という名前になったいきさつというと、板垣退助を委員長とする「常設館委員会」で、この建物の名前が話し合われたものの決定をみるに至らず、開館式前日になってやっと【國技館(旧字体)】という名前が提案されたそうです。
 それは作家の江見水蔭が、開館式用に用意した案内文の中の一節、「相撲は日本の国技なり」から引用したと言われています。

 「相撲は日本の国技」という既定概念が現在も残っているのは、このときに命名された「国技館」という名称が大きく影響しています。
 実際には、相撲を国技として国が認めているわけではないので、その根拠は非常にフワフワしたものだなぁという印象はぬぐえません(。`・д・) 続きを読む

 

旧国技館と回向院!その①


  回向院〜旧国技館  

 今年の一発目のブラタモリ両国でした!
 放送を見ていなかったので、お客様に教えていただいたわけなんですが、両国橋から回向院、国技館へと歩いたそうですね~
 見たかった。何より撮影現場を見たかった。そしてタモさんのサングラスを外すところを見たかった。。。
 とまぁ、そんな思いはさておき。
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旧跡両国広小路の石碑に行ってきた!


  両国橋の西側にひっそりと  

 前回両国橋の歴史を調べて、両国という地名はもともと両国橋より中央区側だったということを知りました。
 今では東日本橋という地名となり、両国の名前を関したものは両国郵便局とこの旧跡両国広小路跡を残すのみとなっている、ようです。(他にもあるかもしれないので探してみようかな) 続きを読む