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 「老舗風土記」その② 2012.2.23

 
 
 

 もち菓子屋からの転身 

 老舗の人間模様はさまざまだが、桔梗家は、まことに風変わりである。三代続くどじょうの老舗だが、初代はもち菓子屋なのだから。
 どじょう屋になったのは、昭和8年、先々代の祖父、堀木粂蔵さんが50歳のとき、柳橋のどじょう屋がつぶれたのを、職人から材料から一切、もらい受けて始めた。その職人たちは8年間働いてくれたという。

 「腕のいい職人がいてくれてね。どじょうなら日本一という人で、伊せ喜で教えたのもその職人ですよ。一匹のどじょうを見たら、これはどこの産ってわかるくらい」

 そこで、もち菓子屋はスムーズにどじょうの老舗に変身したわけだが、それまでの成り行きはこうだ。
 初代の粂蔵さんは行徳の和菓子店桔梗家の出身だが、13歳で市川の島村に修行に入った。島村は市川で知られた銘菓の老舗である。
 そこで修行して両国に独立して店を持ったのが19歳。毎度のことながら明治生まれの人の土性骨には感に入る。

 このもち菓子屋の苦労が、なみなみならぬものだったらしくて、
 「暮れの餅つきといったら一週間寝ずですからね。東京の中でいちばん餅をついたのは、うちじゃないですか」
 というほど、商売熱心の店だったらしい。

そして、この粂蔵さん、頑たる信念の持ち主で、
 「自分はちっちゃい時から、寝る間も惜しんで働きづめだったから、50になったらやめる、とピタリとやめちゃいました」。
   

 これがもち菓子屋をやめて、どじょう屋開業となるのだが、
 「徹底してどじょう一匹さかず、帳場に座ってましたね。で、朝昼晩好きな酒を飲んで、釣りにいって・・・」。
 といっても生来の世話好き、帳場に座って、客の相手よろしく、また、もち菓子職人として鍛えた甘みの腕が味つけにものを言った。

 この商売変えは熟慮の結果だ。東京で一番数の少ない商売。もち菓子のように季節がなく、年中平均して収益の上がる商売…を探しているところに、縁あってどじょう屋の出物であった。

 二代目義男さんは大学卒業後、兜町の取引所で働いていたが、勤めのかたわら店で職人の仕事を見て覚え、22、3で店に入った。

 が、事情があって職人が一年ぐらいでやめてしまった。

 「あわてましたね。なにしろろくすっぽさけないんですから。夜中の二時三時までさいて、それを午前中に売って、また朝からさいて夕方のにあてるわけですよ。もち菓子屋の三倍も四倍も骨がおれました」
 (文・原田八重 え・萩原楽一)
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